2016年01月04日 すっかり変わってしまった 私は、近い将来、親をお世話する立場でもあるし、遠い将来、自分が高齢になれば、お世話される立場でもある。自分ならこうしてほしい、という理想のパターンに、親の世話に対しても、できるだけ近づければいいが、そう、うまくいくだろうか。自分のしたことが、自分にも跳ね返ってくると思う。嫁いびりをした姑は、嫁に逆襲されるだろうし、姑を虐待した嫁は、自分も嫁に痛い目に遭わされる。しかし、姑に尽くしたのに、嫁には邪険に扱われる不幸な人もいるだろう。姑をいじめ、さらに嫁をいじめる強い人もいるだろう。子供を一生懸命、愛情かけて育てたのに、子供に冷たくされる親、手抜きで育てた期待しない子供なのに、その子に思いがけない手助けを受ける親、その他いろいろ、方程式通りにはいかないこともあるだろう。相性もある。ひとつ言えることは、相手に見返りを期待したり、周りの圧力に負けて不本意な思いで行動するのではなく、自分自身の自主的な意志で、能動的に行動すること。かつて自分が受けてきた親からの愛情を、子供やその周囲の人たちにお返しすること。恩や愛情の、順送りバトンタッチ。それは自然な流れだ雪纖瘦。(親に虐待されて育った子供は、負のバトンタッチ、児童虐待をする。)頭ではそう考えていても、老化して、別人のようになってしまった親に、愛情を持って接することができるだろうか。自分は、介護ゼロで、ぽっくりいきたい。誰もがそう望んでいるだろうが、でも、そんなに甘くない。人の世話にならずに死ぬなんてことは、できないだろう。せめて周りの負担を少しでも少なく、人生を終えたい。しかし親には、そんなことを望んでは、罰が当たりそうだ。悲惨な現実が襲ってきたら、全く違うことを言っているかも知れない。頑張っている人には、頭が下がる。 コメント(0) Tweet