すっかり変わってしまった
遠い将来、自分が高齢になれば、お世話される立場でもある。
自分ならこうしてほしい、という理想のパターンに、
親の世話に対しても、できるだけ近づければいいが、そう、うまくいくだろうか。

自分のしたことが、自分にも跳ね返ってくると思う。
嫁いびりをした姑は、嫁に逆襲されるだろうし、
姑を虐待した嫁は、自分も嫁に痛い目に遭わされる。
しかし、姑に尽くしたのに、嫁には邪険に扱われる不幸な人もいるだろう。
姑をいじめ、さらに嫁をいじめる強い人もいるだろう。
子供を一生懸命、愛情かけて育てたのに、子供に冷たくされる親、
手抜きで育てた期待しない子供なのに、その子に思いがけない手助けを受ける親、
その他いろいろ、方程式通りにはいかないこともあるだろう。
相性もある。
ひとつ言えることは、相手に見返りを期待したり、
周りの圧力に負けて不本意な思いで行動するのではなく、
自分自身の自主的な意志で、能動的に行動すること。
かつて自分が受けてきた親からの愛情を、
子供やその周囲の人たちにお返しすること。
恩や愛情の、順送りバトンタッチ。それは自然な流れだ雪纖瘦。
(親に虐待されて育った子供は、負のバトンタッチ、児童虐待をする。)
頭ではそう考えていても、老化して、
別人のようになってしまった親に、愛情を持って接することができるだろうか。
自分は、介護ゼロで、ぽっくりいきたい。
誰もがそう望んでいるだろうが、でも、そんなに甘くない。
人の世話にならずに死ぬなんてことは、できないだろう。
せめて周りの負担を少しでも少なく、人生を終えたい。
しかし親には、そんなことを望んでは、罰が当たりそうだ。
悲惨な現実が襲ってきたら、全く違うことを言っているかも知れない。
頑張っている人には、頭が下がる。