2015年12月31日 当たりが強かっただ 上村松園[明治8年(1875年) - 昭和24年(1949年)]は、努力の天才日本画家。男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアア關鍵詞研究 クササリーはとても興味深く観察した。たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。明治という時代は、女性は学問はもちろん、手に職などつけず、嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だ嬰兒敏感という説がある)妻子ある男性との間に、私生児を生んでいるわけで、それは風ろう。しかし、その私生児こそが、松篁である。松篁の子供が、淳之。後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。,想食餐好仲要捱牙痛畀敏感牙齒搞到食唔到?舒適達牙膏可提供持續24小時嘅長效保護,各位吃貨就可以想食就食,放心享用美食喇!そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている『焔(ほのお)』(1918)その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、微動だにしない、内面に確固たる強さのある、女性美の世界に到達したといえる作品を残している。その作品が、この『序の舞』(1936)である。激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。その作品までには、20年の年月が流れている。燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。ピカソも然り、だ。 コメント(0) Tweet
2015年12月23日 うわべだけのお遊びに 学生さんの夏休みが終わるのを待って、国立国際美術館に、ルーブル美術館展を観に行った。考えることは皆さん同じのようで、結構、会場は混んでいた。ぞろぞろぞろ。自分のペースで観ることができない、苛立ちは、まあ、しかたない。我慢できないのは、エアコン効きすぎの、あの寒さ。音声ガイド器を借りたのだが、観るペースのほうが早くて(寒いから早足)、音声が作品の後追いすることも、しばしばだった。ナレーターの藤村俊二の発音が、部分的に、おかしな補濕ところがあり、それが気になった。ナレーターで、発音がおかしいというのは、命取りだと感じた。ちゃんと発音できない音があるなら、ナレーターとしての仕事は、辞退するか、引退すべき。彼が後期高齢者の仲間入り直前といっても、大目に見ることはできなかった。肝心の内容だが・・・・同時展覧の「やなぎみわ」の「婆々娘々(ぽーぽーにゃんにゃん)」は、とてもおもしろく、興味津津。フロアーが違うせいか、その時は、まだ冷房も苦痛に感物理課程>じるほど効いてなかったし。ただっ広い空間に、大きな作品・・・なのだから、せめて、作品の横に掛けてある、作品に関連した説明文(散文=イメージコピー)をもっと大きくしてほしかった。誰か一人が、文字の目の前で読んでいると、他の人は、遠く離れた位置からは、文字が小さすぎて読めない。散文を読みたくても、あまりにも読むのが遅い人が読んでいる場合は、散文は、飛ばして、次の作品に行かなければならない。幸い、他に誰もいなくて自分一人になって、散文を読むことを独占できても目の前でも文字が小さすぎて、あまりよく読み取れない。(私、目が悪い・・・)あの小さい文字、あれもデザイン効果、視覚を考えてのことだとしたら・・・「50年後の老後の自分」を表現していることがテーマの展覧なのに、肝心のところが抜け落ちているような気がした。所詮、机上の空論。老化した自分を想像するのは、頭の中だけであって、老化後の体の衰えの表現も、見かけだけに、とらわれ、中身を重要視していない。作者はまだ若い女性なので、そのあたり、理解しろ、といっても無理だろうけれど。内容は面白いけれど、せっかくのテーマを、してしまっている。核心のところでは、かなりボヤケた、理想論、空想論に終わってしまう。かえって、若い人の無理解に、哀しさを覚えた。と、ここまでで、ルーブル美術館展の手前の展覧に、こんなに文字を費やしてしまった。エネルギーは、ほぼ使い切った感がある。テンションを維持できない。申し訳ありませんが、ルーブル美術館展に関しては、他のメディア(特に朝日新聞)などで、論評をご覧になってくださいませ。 コメント(0) Tweet
2015年12月17日 進むスピードの違いか 岐阜城は、金華山ロープウエイを上り、さらに、足で登って行く。参加者にはご年配の方もおられら、2グループに分かれた。私は、はぐれてはいけない、と、あまり熱心には城内の展示物や景色等に見惚れず、あっさりチェック、さささと、付いて行った。急こう配で足場も悪い山道、参加者のお一人は、ハイヒール?パンプスにストッキング、もうお一人は、ハイヒールの細身ロングブーツ。お二人とも、奥行きの狭い、急な階段状の石段を、器用にカニ歩きをされていた。私は、クッションのいいスニーカーで、スイスイ。その時ばかりは、この靴にして、ヨカッタと大満足だったのだが???。 朝の出発時の失敗があったものだから、もう、2度と再び迷惑をかけてはいけないと決死の覚悟で、郡上八幡の旧街散策<あとの集合に、足を早めた。ところが、パーキングには待機しているはずのバスがない。あれれ?あれ?あれ? どこ?どこ?どこ?ぐるぐるぐる???パーキングの周りを右回り、左回り、右往左往。さっき、同行のTさんをちらりと見かけたはずなのに、どこにも姿がない。ぐるぐるぐる???何度も回っても同じ。もう集合時間までに2分ほどしかない???!! うそぉ??そんな???必死で探していたら、突然、足元がぐにゃっとした。そこに負荷がかかり、すごく嫌な感触が伝わる。同時に足首が意に反して予期しない方向に曲り、体がガクっと傾いた。トートバッグが、肩からずり落ち、体ご願景村 退費と地面によろりと崩れ落ちた。次の瞬間、左足に激痛が走る。いったい、何が起こったの???この感覚???2年前にもこんなことがあったけれど、ま、さ、か、???まさか、また同じことじゃないよね??デジャブ?蘇る体験が、脳裏をかすめた。なにがどうなったか、わからないけれど、立ち上がり、足下の歩道と車道の境目にある、斜めになった段差をちらと見た。ひょっとして、これ?悪い予感はとりあえず、しまっておいて、全力でバス集合場所に向かった。バスは、もうひとつ向こうのバス?パーキングに停まっていた。やれやれ???よかった???その時は、安堵と喜びで、足のことは、吹っ飛んでいた。が、帰路、サービスエリアに降りて歩いたら、痛くて、ひょこんひょこんと、片足重心歩行に。痛い方の足をアンバランスに引きずる歩き方になった。時間が経つにつれ、足の症状を冷静に見るにつけ、それに伴って徐々に頭が反応してきた。悪いのは、中途半端な段差? それとも靴?(あの山道悪路も持ちこたえたのに)あるいは、私の足? 焦るあまりの不注意?追い込まれると、機能停止、危機管理能力ゼロの弱さが露呈された。理由はともかく、現実問題として、左足小指が、ちょっとでも動かしたり触れたりすると、尋常ではない激痛に襲われる。どうやら骨折したようだ。 コメント(0) Tweet
2015年12月11日 な屋敷にとりつき 弁当の後片付けをしながら、女が三太に言った。 「私はお秋、ぼん、名前は何て言いますのや?」 「三太です」 「そう、可愛い名前どすなあ、弁当食べて眠くなってきたら、わたいの膝枕で寝ても宜しおすえ」 「わい、眠くない、船頭さんのところへ行って、竿さばき見てくるわ」 態(わざ)と二人から離れた三太は、二人の様子をちらちら見ている。 「新さん、新さん、あれっ、新さんおらへん」 新さんは、二人のどちらかに憑いて、探りを入れているらしい。今まで、他人みたいに振舞っていた二人が、三太が離れると何やらひそひそ話しあっている。どうやら、三太が金を持っているらしいとの情報交換や、今後の作戦を立てているようである。新三郎が戻ってきた。 「どうやら、もう船の上では手出しをしないようですよ」 「船を下りてから、わいを掴まえて、銭を奪うHKUE 呃人のやな」 「そうです、藪の中に連れ込んで、銭を奪ったあと、三太を竹に縛り付けて逃げるらしいですぜ」 「良かった、新さんが居なかったら、わい筍のお化けになるところや」 「何だ、そりゃ?」 夕刻、船は京へ着いた。 「三太ちゃん、お姉ちゃんが手を取ってあげましょ」 「お姉ちゃん、おおきに」三太の内心は、おばちゃんだと思っている。 抱きかかえる振りをして、動巻きと巾着を確認Amway傳銷している。巾着は首から丈夫な紐でぶら下げているし、胴巻きはしっかり腰に巻いてある。 「ほな、一緒に江戸へ向いましょなあ」 しばらく歩いて、人家が途切れた辺りに、道の片面が笹薮になっているところがあった。 「三太ちゃん、ちょっと待っとくれ」 「おば、いや、おねえちゃん、どうしたの?」 「へえ、おしっこがしたくなって…、ここらに厠はないし、そや、この笹薮でしてくるわ」 「そうか、お姉ちゃん、笹の折れ株で大事なとこ突かんように気ぃつけや」 「へえ、おおきに、そやけど何か怖いわ、三太ちゃん、途中まで付いてきてぇな」 「わかった、わいも序(ついで)に出しとこ、連れションや」 獣道と言うか、人か猪が分け入った形跡のある藪の中に、二人は入っていった。 「三太ちゃん、ここで待っていておくれやす、恥ずかしいから覗きに来たらあきまへんどすえ」 「うん」 「三太、連れの男が来ますぜ、かくれましょう」 三太は素早く藪の中に身を隠した。男はキョロキョロしながら三太の隠れている前を通り過ぎた。 「あんた、こんなところまで来たんか、途中にあのガキが居ましたやろ」 「いいや、居なかった」 「おかしいなあ、待っとくように言っておいたのに」 「やっぱりそうか、わし、あのガキは只者ではないと思っていた」 「何者やと思っていたのや?」 「座敷童子(ざしきわらし)や、きっとそうに違いない」 「あんたアホか、座敷童子は、陸奥(みちのく)の伝承民話でっせ、それも古い大きますねん、それを何どす、昼間に船にのって、船酔いするわ、おにぎりは頬張るわ」 「それは、陽気型の座敷童子だろ」 「座敷童子に陰気型と陽気型がおますのか?」 「そうや、その陽気型だろう」 「アホなこと言っていないで、追いかけましょ、ちっと稼がんと、今夜野宿どすえ」、 二人は、三条大橋まで追いかけてみたが、三太は見つからなかった。 コメント(0) Tweet