2015年09月21日 これをサポート (これ、やっている場合も、やられている場合も、両方ある???はず) で、そのまた次。 母国語の違う人同士との会話。 複数の人がいる場合、語学ができない、言葉がわからない人は、微笑むだけ。 まわりも、その微笑みが、理解や賛同の表現ではなく、 「わかってない」「理解できてない」ということを見抜いていて、 でも、あえて、会話の進行の邪魔になったり、場の雰囲気を壊したりしないよう、ちょっと距離を置く。 「わからない」にも、ヒアリング能力はあるが、スピーキングができない、 あるいは、引っ込み思案で、しゃしゃり出たり、自分の意見を言うのが不得意な場合もあるが、 「わかってない」、「意見がない」とみなされる。 あまりわかってないが、積極的スピーキングで、理解度を勘違いされる、ハッタリの利くケースもある、 が、難しい話になると、即、ばれる。 わたしのように、まったくわからない、という人も、まじっている。 必要最低限のことだけを必死で聞き出し、こちらからも伝える。 これは、「聞く」「話す」という会話レベルではなく、「コミュニケートする」に近い。 乳幼児と大人の会話は、その点、無邪気でいい。 言葉が話せなくても、会話になる。 まさに、ストレートなコミュニケーションだ。の自分のブログを読んで、ふと思った。 優秀ではない男性は、DNAを残すな、と、とらえられる可能性もある。 そんなことは、決して言っていない。 結婚していて、妻子がいるのに、公然とフーゾク通いを肯定している男性の意識、感覚について、 わたしが感じたことを書いた。 未婚なら、どうそ、ご自由に。 そういう行動をする男性を、女性であるわたしが、どう捉えているかは、別として。 シングルマザーは、たいへんだから、 どんなに非力で、なよっとしていても、家庭に成人男性がいるのと、いないのとでは、大きくちがう。 そりゃあ、部屋から一歩も出ず、部屋に差し入れられた食事だけを食べる成人男性なら、 家族も悩みや不安のもとになるだろう。 そうでない、一般的な心身ともに健康な(できれば勤労)男性であれば、 すご~い優秀極まりない、立派な人でなくても、十分だ。 お年寄りができないようなことを、手助けしてくれる、とか、 それだけでも、とても助かる。 ましてや、赤ちゃんの子守、育児、してくれる、 子供と血がつながった実の父親でもある、成人一般社会人男性が、同じ屋根の下にいてくれると、とても助かる。 どんなに弱弱しい、だめだめDNAでも、二人で一生懸命、家庭を築いてくれるのなら、 頼もしい。 パワフルで、あちこちにDNAを撒き散らしている男性より、ずっとずっといい。 ダメな奴で、家庭もほったらかし、しかもDNAも外に撒き散らしている、そんな既婚男性が、 けしからん、と言っているのだ。 ダメダメじゃなくて優秀な、あるいは、アタマは優秀じゃないけど、別方面が強い、しかも、超金持ち男性で、 妻を5人ぐらい持って、各、家庭を維持させている既婚男性が、 6つ目の家庭を持つことに関しては、文化の違いもあり、言及する気がないが。 (日本では重婚になります) コメント(0) Tweet